幼稚園の帰り、久美が私のロングスカートの裾を引っ張って立ち止まらせた。
「ねえママ、あっちでにゃんこちゃんが集会してるんだよ。」
久美はもう先月五歳になったのだが、舌っ足らずなしゃべり方が幼さをより引き立て可愛らしく感じる。
「にゃんこちゃん?」
私はスカートを握る久美の手を掴み、家へ向かう道路を歩き出した。
「黒いにゃんことー、白いにゃんことー、茶色のぶちのにゃんことー、みんなで公園にあつまってんの。」
この近くの公園と言えば、学園前平和公園だろう。
指折り数えて言う久美に、私は幼い頃の自分を思い出していた。
確か、あれは私がまだ小学校2年か3年の頃だったと記憶している・・・。
「おい、ブス遠藤!この公園は俺達の遊び場だぞ、帰れ!」
クラスメートの稲垣進は、私の事をいつも「ブス」と呼んでいた。
「何よ、稲垣えらそーに。お前の方がブサイク面だろっての。」
「チューリップ公園に行こうよ、みどりちゃん。」
「みどりちゃん、泣かないで。稲垣マジ死ねって感じ。」
口々に友達が私を取り巻いて慰めてくれるが、私は中々泣き止む事が出来ない。
稲垣進とは家が隣通しで、私達は所謂「幼馴染み」だった。
昔は二人で幼稚園に通ったり、二人だけで隣町まで探検に行った事もある。
「私、やっぱり帰る・・・。」
三人の制止を振り切って、私は泣きながら家に急いでいた。その私の前を、白い猫が通り過ぎた。
とても大きな猫。いつも私の家の向かいの塀に陣取っている、ちょっとぽっちゃりとした穏やかな老猫だった。
「ねこちゃん・・・。」
白猫はまるで泣いていた私を慰めてくれる様に、足元に擦り寄ってきた。
どこで飼われているのかは知らないが、何度となく給食残りのパンや牛乳を与えた事がある。
「うふふ、私の事覚えててくれてるの?」
「ああ、もちろんだよ。遠藤さんちの末娘だろう?」
ふいに白猫が後ろ足ですいと立ち上がり、そんな事を流暢な日本語で言う物だから、私はびっくりして派手に転びそうになった。
「ねこちゃん、貴方しゃべれるの?」
今思えば間抜けな質問なのだが、小学生の質問なのだからしようがないと思ってほしい。
「こほん、ええ、まあ。たしなむ程度にね。みどり、君だってしゃべっているだろう?僕がしゃべった所で不思議はないさ。」
こう堂々と言われてしまえば、「ああ、そういうものなのか。」と納得してしまっても文句は言えまい。いや、言わないで欲しい。
「知らなかった!ねこちゃん、ねこちゃん、私と遊んでくれる?」
私はすっかり舞い上がってしまい、先程まで泣いていた事なんて忘れてしまった。
「ねこちゃん、ではなくて僕の名は『フセルナーゼ』。」
すとん、と前足を地につけて白猫は厳かに名乗った。
「ついておいで、みどり。僕の家族を紹介するよ。」
四足で颯爽と走るフセルナーゼの後に続けば、そこは私の家の前の、あのいつも彼が陣取っていた塀の一角だった。
「ここが僕の家の入り口だ。さあ、招待しよう。みどり、君が人間で二番目のお客さんだよ。」
ほんの小さな塀に開いた穴の隙間を、フセルナーゼは顔で指し、すいと中へ入ってしまった。
私は恐る恐るその隙間に顔をつっこんだ。
すると、目の前に広がるのはまさに「猫の国。」
二本足で、槍を持った二匹の猫に挟まれ、頬をべろりとなめられた。
「いらっしゃい、みどり。今日は心行くまで楽しんでいってくれ。」
何十匹もの歩く猫に引き入れられ、私はフセルナーゼと共に猫の国の奥深くまで探検する事になった・・・。
「みどり、今帰りか?」
ふいに、後ろからかけられた声に私は振り向いた。
「パパー!」久美は声の主に駆け寄り飛びつくと、だっこ〜!と駄々をこねている。
「昔の事を思い出していたの。」
パパは罰が悪そうな顔で苦笑し、私の顔を覗き込んだ。
「好きな娘ほどいじめたくなるもんさ。」
「言い訳ばかりうまくなって。ふふ、昔と何も変わらないわ、進。」
私がわざと意地悪く笑って言うと、パパ…進は久美を抱き上げて、私の隣を歩き出した。
「貴方にいじめられて、私しょっちゅう泣いていたのよ。」
「パパ、いじめっこだった?」
久美が会話に入ってきて、ますます進は困った顔で、
「二人して俺をいじめないでくれ。」だなんて情けない事を言う。
「あー!ねこちゃんだー!」
久美が身体を捻らせて、私達の後ろを指しながら言った。
見れば、大きな白猫が立ち止まって私達の方を見ている。
「あら、かわいい。猫ちゃん、バイバイ。」
私が、久美に合わせて猫に手を振ると、白猫はぺこりと頭を下げてから、くるりときびすを返して私達の元から離れていった。
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