少年は迷うことなく青沢のいる実験準備室の方向、左に曲がったのだ。
「ちょっと・・・!!待って!」
ようには焦って少年に声をかけたが少年は一瞥もせずにそれを無視した。
仕方なくようこは少年を追いかけかけだしたが少年は見る見るうちに小さくなる。
動悸がおさまらない。妙な胸騒ぎがする。
少年のあの目を見たとき、ようこは何ともなしに「まるで殺し屋みたいだ」、と思ってしまったのだ。
ばたばたばたばたとあまり速くもないようこはどたばた音を立てながら少年を追いかける。
少年を追いかけつつもようこは一人で走っているような錯覚を覚えた。
少年の足音がまるっきり聞こえてこないからだ。
しかしようこは自分の足音が派手だからかもしれない、と思い直してまた少年の背を追いかける。
トイレ、渡り廊下、裁縫室、コンピューター室、理科室と通り抜け、そしてその隣の実験室も通り抜ける
・・・事はなく、全速力で走っていた様に見えたというのにいきなり少年は実験室の前でストップした。
ようこは少年のように止まる事は出来ず、実験室のそのまた隣の茶道室のまん前で転がるようにしてやっと止まった。
はあはあと肩で息をしながら、ようこは何とか体勢を立て直し、少年を見た。
少年は実験室と茶道室の間にある小さな洋扉のノブに手をかけ、扉をじっと見つめている。
実験準備室の扉だった。
少年はそのままの体勢でようこの方をちらりと見た。ようこはぎくりとして、身体を強張らせる。
衝動的に追いかけては見たものの、よくよく考えればこの少年を追いかけなければならない理由はようこには全く無かった。
「青沢俊夫の事は忘れて消えろ。」
少年は顔色一つ変えずに至極失礼な事をさらりと言うが、ようこはその言葉に憤慨したり疑問を持つよりも先に、
不謹慎ながらもその声がぞっとする程美しく、まるで・・・そう、歌声で人間を廃人にすると言われる
セイレーンの囁きの様だと思ってしまったのだ。
一瞬の間を置いて、一気に疑問がようこの頭をかけめぐる。
「ま、待ってよ。貴方は誰?先生とはどういう関係?それに忘れろって、消えろって、何?どういうこと?」
少年は無表情のままノブをつかんでいない、余った手で大げさにかぶりを振って、
「やれやれ・・・」とでも言いたげな動作をしながら、「お前は関係ない。今すぐこの場から、消えろ。」と言ってのけた。
ようこがそれに反論するよりも早く、少年ははじかれたようにノブを離して後ろに跳んだ。
金属製のノブが急激に煙を上げ、加速的に真っ赤になった。
少年は腰を落として、右手で持った剣の握りの部分を左手で持ち
・・・すなわち、すぐにでも切りかかれるような体勢でじっと煙を上げるノブを、扉を見つめている。
ついにはじゅうじゅうと音を立てノブは徐々にその姿を変形させていく。
まるで・・・そう、まるで高熱を加え息を吹き込んで作る風鈴の様だ、とようこは場違いな事を思った。
「もう一度だけ言う。消えろ。」
ようこはもうここまでくると、本当に自分でも逃げ出したいと思っていた。
青沢が気にかかるが、何より自分自身に得体の知れない「恐怖」がのしかかっているように感じた。
だがようこの足は何故かぴくりともしない。がくがくとひざが笑って、すくんだ足はどうにも動く気配はない。
少年はふうと息を吐くと同時に左足で廊下の安っぽいタイルを蹴り、煙を発する扉に向かってその刃を一閃させた。
扉にはあっという間に亀裂が入り、そして粉みじんになる。
炎はノブの残骸を溶かしているだけで、それ以外には広がってはいなかった。
ノブの残骸にからみついている、燃える白く細い糸の様な物を見ると少年は瞬時に再び地を蹴って跳んだ。


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