4:刀道祥子
 母はよく言っていた。全てにおいて自らの人生を諦めたかのように、疲れた声で言っていた。
 私達は奴隷である、と。
 私が十歳の時に、もう本当に人生を諦めてしまった母の言う事は、当時の私には理解出来なかった。
 だが、今なら少しだけ母が何を言っていたのか、何故生きる事を諦めてしまったのかわかる気がする。
 代々使用人の刀道家の血筋。
 自由に出来る事なんて、自分の食事のメニュー位しかない。
 一生を主の為に捧げる奴隷階級。
 だけど、その主ですらも、囚われの身であるこの現実。
 母の言っていた「私達」には、一体どれだけの人間が含まれているというのだろうか?

「ねえ祥子ちゃん」
 ふいに聞こえた来客者、下山未来の甘える様なその声に私、刀道祥子はパスタを炒める手を休めて振り向いた。
「・・・・・?!」
 顔面めがけてぶちまかれたのは、先程から未来ちゃんが飲んでいたレモネード。
 とっさに目をつぶったので、手拭ですぐに顔をふいて目を開けた。
「未来ちゃん・・・?・・・ちょっと・・・?」
 いつの間にか未来ちゃんの手には10センチ程度の黒い棒を右手に構えていた。
 かちり、とスイッチを押す音が聞こえると同時に電磁音。棒の先端からはバチバチと火花を散らす電磁鞭が発生した。
「未来ちゃん、どういうつもり・・・?」
 未来ちゃんの顔を見れば、今がどういう状況なのかはよくわからないが、冗談ではないという事が見て取れる。
 ふうと一息ついて、未来ちゃんは口をへの一文字に結ぶ。ゆうに3Mはある鞭をしならせて、私に向かって一気に振り下ろす!
 鞭は右からの綺麗な軌跡を描きながら、私に向かって伸びる。
「答える気は無いみたいねっ!」
 私は額から流れる液体に気にも留めずに、首に巻いていたスカーフを一気に引き抜く。
 抜いたと同時にスカーフは鉄の様に、硬度のある細身の曲刀へと変わった。
 曲刀で電磁鞭を受けると、手首をしならせて電磁鞭に絡ませ、一気に引き抜く!
 絡めとった鞭は曲刀を持つ右手とは逆の左手に、綺麗に収まる。
「へえ。便利ね、コレ。」
 私は繁々と電磁鞭の柄を見やって、電磁部分を出したりしまったりした。
 未来ちゃんは大きなため息を一つ吐いて、再びロッキングチェアに腰を降ろす。
「なるほど、侍女兼護衛ってわけね。結構やるじゃない?」
「それはどーも。」
 冗談にしては随分と悪趣味な未来ちゃんに、満面の営業スマイルで返す。
「いついかなるい時に災厄が訪れるとも限りませんから。幼い頃から欠かしていない修練が、まさか本当に役に立つとは思いませんでしたけど・・・。」
「あまり役に立ってはないみたいよ?」
 未来ちゃんが口元を引きつられて、ぎこちない作り笑顔を見せた瞬間に、爆風と熱気。いきなりの轟音と共に、鍵師の間の分厚い扉が私達のいる部屋の方へと吹っ飛んで来た。
『うはぁっっ?!?!』
 人間、予期しない事が起きると、思わず変な声が出るらしい。私達は、それぞれにおかしな声を発した。
「ちょっと・・・祥子さん、下山さんっ・・・?さっきから何やってるんですか・・・??」
 今までずっと黙っていた有久くんが口を挟むが、私はそれに対する明確な回答を持ち合わせていなかった。
 吹き飛ばされた扉は派手に部屋の壁や家具をぶちまけながら、ちょうど私と未来ちゃんの間に陣取って止まった。
 未来ちゃんは両手を体の左上に上げ、左足一本で立ち、右足を腰まで上げるという不思議な格好で固まっていたがはっとし、
「殺す気か−−−−−−ッッ?!」空中に手の甲でビシッと突っ込みをしながら叫んだ。
「む・・・すまない。」
 すでにただの穴に成り下がった扉をくぐって現れた仏頂面の有翼の男は感情のこもっていない低い声で言った。
「宰相様っ?!いったいどういうつもりですか・・・っ?!」
 国王に次いで国政に対する力を持つ職業「宰相」に最年少で就いたこの男、ミーカール。
 真っ黒なサラサラの髪に、女の様に白い肌。全身黒ずくめの格好が、余計に白さを際立たせている。そしてその姿で最も特徴的なのは、その背中からにょっきりと生えた翼。漆黒の翼を持っていた。
 旧王族の血縁者である証拠であり、現在ではあまり意味のないものであるのだが、その身体能力は無翼の人間よりも遥かに勝っており、空を飛ぶことができる以外でもまさしく「超人」と言った一族なのである。
「下山、ケツカッチン。」
 まるきり私を無視して、無表情で奇天烈な事を言うこの男に、思わず鳥肌が立つ。
「どこのギョーカイの人間ですかい・・・
ってわかってますよ!ミーカール様こそ、早く到着しすぎッ!まだお昼ご飯も食べてないし、たかしだって来てないのにーィ。」
 私どころか、未来ちゃんの台詞でさえも無視し、ミーカールはつかつかと妙によい姿勢のまま機敏に鍵師の間への扉へと歩を進める。扉にはノブの替わりに、パスワードを入力する為の四角いテンキーとその上に小さな横長のディスプレイが一つ。
「まさか・・・鍵師の間を開けるつもりではないでしょうね?!」
 思わず詰め寄ろうとする私とミーカールの間に、未来ちゃんが割って入るが、少々腹が立ってきた私は小手の原理を利用した動きで彼女を右手でいなし、家具や扉が散らかる後方へと吹き飛ばした。
 そのままの勢いでミーカールの右肩に手をかけるが、女性と見まごうばかりの細い肩が、びくともしない。
 せわしなく動く十本の指は、国王でさえも知る事のない何百桁ものパスワードを物凄い速さで入力している。
「おやめなさいっ!そこを開けることは、この私が許しません!
鍵師付の護衛としての特権を発令し、国賊として正式に処罰しますよ!」
 肩や腕、腰や足と、ミーカールの体に追いすがるが、まったくびくともせず、ついにたった数分間の間に何百桁、正確には525桁のパスワードを入力し終えたようだ。
 手を休めると同時に、ミーカールはテンキー下の「ENTER」キーを押し、鋼鉄の扉はまっ二つにわれ、左右に引き込まれた。
「うわ?!」
 どうやら扉に身をもたせていたらしい有久くんが、こちら側に倒れ込むようにして身を転がせた。
 薄い青の髪に、ミーカールよりも更に青白い肌。女性の様な長い睫を覆い隠すのは眼鏡。
 相当動転しているらしい有久くんは両手を床について、がばっとその身を起こして私達の方を見た。
「『鍵師』だな。ご同行願う。」
 抑揚のない声でミーカールが言うと、混乱の残る有久くんは首を振って、尻餅をついたまま後ずさる。
 ミーカールが無表情のまま、逃げる有久くんの腕を捕まえたのを見た私は、ここでようやくはっとして、キッチンに備え付けられている緊急用のブザーを押そうと駆け出したが、ぐいっと襟首を掴まれて前につんのめったと同時に後ろに思いっきり引っ張られる。一瞬息が詰まる。ぐっ、と呻きながらも後方へまともに吹っ飛ぶ。
 左手に有久くんを捕まえたままの姿のミーカールに片腕で吹っ飛ばされた私の意識は、鍵師の間の壁にたたきつけられ、ブラックアウト。そこで途絶えてしまった。



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