これは夢だなとぼんやりと俺は思った。
 俺は砂塵舞う、見渡す限りの砂漠に、大の字になって仰向けに倒れている。
 両手両足の感覚がない。痛みもないので、何だかプールにでも浮かんでいる気分だ。
 さんさんと降り注ぐ太陽と俺の顔の間に、ずいと何か黒い物が割り込んできた。
 顎を引いて仰ぎ見れば、それは犬の様だった。
「犬ではない、ジャッカルだ。」
 夢の中なので、例え犬がしゃべったとしてもそれほど驚きはしない。しかも、それがやたら偉そうでも。
「だから、犬ではないと言っているだろうが!」
 犬・・・もとい、ジャッカルは漫才のツッコミの様に、前足でびしっ、と俺の顔に一撃をくれた。
 でも確か、ジャッカルってイヌ科の哺乳類じゃなかったっけ?思った瞬間に、更にげしげしと顔を中心に蹴られ踏まれた。
「そのジャッカルが俺に何の用だって言うんだ?」
 口の中に砂やジャッカルの毛を多分に含みながら俺が言うと、ジャッカルはその黒い顔を俺の視界一杯に映して、
「お前は死にかけている。」
 ジャッカルは器用にその右前足(右手と言ってもいいだろう)で俺の両足あたりを指差した。
 ほんの少しだけ頭を上げて足を見れば、くちゃくちゃと派手な咀嚼音を立てながらも、二羽の鳥が俺の足を食らっていた。
 妙にリアルな夢だ。急に血の匂いがぷんと鼻につき始める。
 しかし痛みはないので、それほど気にはならなかった。
「俗にいう禿鷹、だ。お前はいつもそやつ等に蝕まれている。」
 妙に哲学的な事を言うな、と思った。
「ふ・・・哲学的、か。」
 完全に人を食ったような口調のジャッカルを見て、俺は前の彼女を急に思い出した。
 さとみ・・・安さとみ。外見ばかり気にして無駄に着飾っていたけばけばしい女だった。
 付き合っていた時も当然だが、今でさえもそのけばけばしい化粧を「美しい」と思っている自分もいる。
 今現在付き合っている彼女、美咲も、可愛いとは思うのだが、さとみの美しさには適わない・・・もちろん外見上だけでいうなら、だが。
「お前は自分が半分死んでいる事に、何も感じないのだな。」
 ジャッカルは本当に俺を小馬鹿にした様な口調で言うので、俺はむっとして、犬のくせに、と悪態をついた。
「死んでいても生きていても変わらないな。」
 犬畜生に言われる言葉ではない!叫ぼうとしたが、それを叫ぶ前に俺はジャッカルに組み敷かれていた。
 ジャッカルはその鋭い爪で俺の胸を貫き、その牙で俺の心臓を抉り出した。
「さあ、裁判を始めるぞ。お前は今、完全に死んだのだ。」

 俺は両手両足に枷をつけられた姿でジャッカルの前に引き出されていた。
 ジャッカルは、両足で地にたっており、その手には俺の顔よりも大きな天秤を下げている。
 天秤の右側には俺の心臓が鼓動を刻みながら静かに震えている。左側には純白の羽根。二つはつりあっている。
 ジャッカルの後ろにはペンとノートを持つ猿。猿の後ろには、口に何個もベルトを巻きつけた鰐が控えている。
「お前は人間を殺めた事があるか?」
 ジャッカルは先程とは打って変わった穏やかな口調で俺に問う。
「はあ?何の話だ、これ?」
 がくん、と天秤の羽根の皿が一気に傾いた。猿が必死にその様子を見ながらノートに書き込んでいる。
「この裁判でお前が有罪になれば、お前の魂はアーマーンによって噛み砕かれるであろう。」
 鰐がその身を大きく揺さぶると、その口のベルトがばちん、と半分だけ弾けとんだ。
 俺はびくん、と肩を震わせた。鳥や犬はいい。だが、爬虫類だけは苦手だ。蛇も鰐も蜥蜴も。
「もう一度問う。人間を殺めた事があるか?」
「ねえよ!」俺がやけになって叫ぶと、天秤は元通りつりあった状態に戻った。
「他人を騙し、その財産を強奪した事があるか?」
「異性に自らの欲望を押し付け、強姦した事があるか?」
「両親に対する感謝の念を忘れ、彼等に手を上げた事があるか?」
 ジャッカルの質問に、俺はどれもない、ないよ、ないってば、と半ばうんざりしながら答えた。
 天秤は均衡を保ったままで、どうやらこの天秤が傾かない限りは鰐の拘束は解かれないらしい。
「では最後に問おう。」
 ジャッカルは重々しい口調で、俺に歩み寄りながら言う。
「お前を愛する女性が、お前に望む言葉を知りながらもそれを放置した事があるか?」
 目と鼻の先でジャッカルが言う事に、俺はぎくりとした。
 天秤ががくりと傾いた。俺の心臓が高くなる。鰐の拘束が一気に弾けとび、鰐とは思えない俊敏さで俺に詰め寄る!
「待て!言う!言うから、鰐をどかせ!嫌だ!鱗がキモいんだよ!」
 ジャッカルは狼狽して逃げようとする俺の枷を持って引き寄せると、
「約束したぞ。」
 と言って意地悪そうな顔で満面の笑みを浮かべた。


 目覚めると、俺は自分の汗の臭いにむせ返った。
 上体を起こしてベッド脇のカーテンのかかった窓を見れば、穏やかな太陽の光が差し込んでいる。
「寝言言ってたよ。」
 声に振り向けば、同棲して半年になる美咲がテレビの前のソファに座っていた。
 テレビでは動物番組がやっていて、ちょうど動物園の鰐園にカメラが向いていた。
「鰐は嫌だ〜!って・・・。なっさけな〜・・・!」
 くすくすと笑いながらしゃべる美咲の声は、本当に愛おしい。
「結婚しようか。」
 俺が言うと、美咲は驚いて俺の顔を見て、一瞬戸惑ってテレビの画面を見てからもう一度俺の顔を見てから、うん、と小さく言った。
 美咲の右手首には、去年の誕生日に俺が買ってプレゼントした犬をモチーフにしたブレスレットが光っている。
 俺はこの先、一生動物園の鰐園にだけは行かないでおこう、と心に誓うのだった。


解説、後書きへ
トップへ